何を書こうか

※この記事は 苫小牧高専 Advent Calendar 2019 24日目の記事です。

adventar.org

昨日はみみねこくんによる「放課後5時半以降の教室施錠について」でした。苫小牧高専も相変わらず楽しそうですね。そしてみみねこくんの文章はユーモアたっぷりで面白いですね。

さてさて、そんな面白い文章の一方で、僕は何の題材も着地点も考えずに文章を書き始めてしまいました。このあとも適当に出てきた文章を並べていって、思いつきで何かになったら良いなとか思いつつ書いていきますね。 例年であれば学校への文句の1つや2つを投げつけつつ、一年間でやったことの振り返りなんかをしていましたが、なにせ僕は今年苫小牧高専に通っていません。 しかも休学中のはずなのにやたら忙しいし、去年までのように自分のやっていることが全て自分の責任の範疇に収まるものではなくなってしまったので、書くに書けないことが多すぎるのです。

なにかお仕事を貰ってその内容を業務として遂行するとき、それを行っているのは確かに自分で、自分の持っている技術やら経験やらを使って開発をしているはずですが、本質的にそれは自分の作品では無いのです。自分が作ったかもしれませんが、自分のものではありません。そうして作ったものには多くの場合守秘義務が伴いますから、「これは自分が作った」と言うに言えないことも多いですし、まあそれがプログラマであり、エンジニアというものなのだと思います。給与を頂いて、そのリターンとして開発を行っているわけですからね。当たり前のことです。僕の現状としては何故かゴリゴリC/C++を書く組み込みっぽいプログラマをやらせて頂いているものと、それ以外のまだ微塵も口外できない水面下の話が進んでいたりしますが、まあどのみち詳細は言えないので無いも同じなわけです。

プログラマという職種は専門職です。この“専門職”という言葉はある一分野に一般以上の知識を持つ人間へ与えられる称号だと思います。専門職に就いて活躍できたらそれは凄い事だと思います。

でも、ちょっと別の捉え方をしてみることも出来ます。 例えば、あるゲーム作品にプログラマとして携わった場合を考えます。そのゲームのロジック部分の実装を設計し記述したのはおそらく自分でしょう。そして、その作品が世に出たとします。 この時、僕は「ゲームクリエイター」を名乗っていいのでしょうか。これは僕は、名乗れないし、名乗りたくないと思います。

“専門職“というのは同時にその人間が携わるべきとされる範囲を縛り得る言葉でもあると思うのです。

だって、そのゲーム(RPGなのか、ソシャゲなのか、パズルゲームなのかはわかりませんが)の企画をして、内容を詰めて、工夫をこらしたのはきっと自分ではないのです。自分はプログラマという職種の人間として、全体でその作品を作り上げるための一部分を任され、そこを実装した人間に過ぎないのです。これは、徹頭徹尾、どこまで行っても自分はプログラマであって、クリエイターではないと僕は考えます。

僕は趣味でゲーム制作をやっているのでちょっと偏りますが、またゲーム制作に関する言葉を取り上げた例を挙げさせていただきます。

小さい頃にゲームを遊んで、「自分もこんなふうなゲームを作ってみたい!」と思った少年がいたとします。僕はこの例には当てはまらないので予測であり、あくまでも例なのですが、きっと彼が将来なりたいものは「ゲームクリエイター」です。この夢を抱いたときの頭の中には、自分の世界を考えて、そこで動かせる仕組みを作って、色んな人に遊んでもらって、何より自分が自分で作ったゲームで遊びたい、そんな妄想がぼんやりと存在したことでしょう。

そして彼はゲームを作ろうとゲームに関わる技術・技能を勉強し、ゲームの開発企業に就職したとします。さて、おかしいですね、きっとこの職種は「ゲームプログラマ」です。いや、「ゲームデザイナ」かもしれないし「ゲームプロデューサー」かもしれませんね。「ゲームクリエイター」はどこに消えたのでしょうか。結論から言えば、「ゲームクリエイター」という概念はぼんやりとしたもので、様々な専門職の総称だったわけです。もしくはそれらが合わさってできた成果物を「外から」観測した時に見いだされた幻想の職業なのかもしれません。本質的には後者な気もします。

じゃあ、「ゲームクリエイター」になりたかった少年はどうすれば良いのでしょうか。もちろんそこに至るまでの学習で「ゲームプログラマ」などのより具体的な分野にあこがれを抱き、それになったことを喜べる場合も多いでしょう。しかし、そうならなかった場合は?最初から最後まで、彼がなりたかったのはクリエイターだった場合は?趣味でもなんでもなく、自分がそれをやりたいがために生きるものがクリエイトだった場合は?何になれば良いのでしょうか?

任されるロジックを実装するのは「ゲームに関われた」という感覚はあるかもしれませんが、それは自分の作品でしょうか。彼は、ゲームクリエイターになれたと満足できるでしょうか。

これはわかりやすい例であって、きっと様々な分野で似たようなことはあるのだと思います。そして、僕はこれを批判する立場の人間ではありません。ある程度大きくなった組織はこういった完全分業の形態が一番運営しやすく、効率的なのでしょう。仕方のないことです。

でも、これだけでは寂しくありませんか?確かに1つの分野にだけ特化して、それだけを生業にしていくのも素晴らしいですし、とても格好いいです。ですが、本来私達はそれに縛られる必要だって無いはずなのです。固定化された職業という概念に捕らわれずに、自分の持てる知識や技術を、分野を問わずつぎ込んだものを作ったって良いはずなのです。それに人生を賭けられる道が現実的な進路としてあったって良いはずなのです。

きっと、僕たちは近い将来に職業に縛られます。しかしだからといって、必要ないと"専門"の知識以外を跳ね除けてしまうのはあまりに勿体ないです。きっと、学生の今が一番、何にも捕らわれずに、気の赴くままに沢山の知識や世界に触れることが許される期間なのです。沢山のものを自分の中に持って、それらを引用した、自分による素晴らしい世界を創造したいじゃないですか。

何も考えず文章を書き始めましたが、結論じみたものが出てくれました。良かったです。

でも、僕はこの結論は嫌いです。話の流れとしては大変収まりのいい、模範的な結論かもしれませんが、気に入らないものは気に入らないです。 理解のない人間にこれを喋ったら厨二病と言われるかもしれない。でも、空想を現実的ではないと切り捨て、そういうものだからと当たり前の言う通りに生活することが正しくて、模範的だと言われるべきものなのでしょうか?僕は今も、そしてこれからも、職業や専門なぞに縛られることなく、自分の作りたいものを"プログラマ"としてではなく"クリエイター"として作り続けられるような人間でありたいです。 果たして現代社会でそんなことをするためにはどうしたら良いのか、まだはっきりしたことはわかりませんが、行けるところまでは行ってみたいものです。

僕は、プログラマにはなりたくありません。皆さんは何になりたいですか。

以上、思いついたままにすとんりばーでした。

明日は苫小牧高専アドベントカレンダー2019の最終日! 担当は主催者である@Kotomi1338さんです。楽しみですね。

苫小牧工業高等専門学校を休学しました

タイトルからしてなんだか過激な文章っぽさがありますが、退職エントリ的な雰囲気のタイトルを付けてみたかっただけです。内容はそんなに過激じゃありませんし、学校に対する批判でも論評でもなく、極めて個人的なお気持ち表明なので、そんな感じで読んでいただければ幸いです。本当に自分勝手に書きますので、気分を害してしまったら申し訳ありません。

まあ内容としてはタイトル通り、僕が苫小牧工業高等専門学校を休学したという話です。「なんでお前3年生終わったら突然休学したの」という感じだと思いますが、先にざっくりとした理由を言ってしまうと、「全て投げ捨てて好き勝手に勉強する時間を1年でいいから人生のうちに作りたいと思った。」という極めて個人的なものです。

ここからは、少し踏み込んだ詳しい理由を書きます。物凄く個人的かつどうでもいい話が含まれるので、適度に読み飛ばしてください。誰かに話したいからこうして書き連ねているだけなのです。

僕は比較的小さい頃から科学技術に関連する分野が大好きで、無差別に多くの分野を少しづつかじってきました。長い間、特定の分野に寄らず色んな知識を仕入れて喜んでいたのですが、中学生の後半辺りから情報系の分野に触れ始め、こちらを主な学習対象とするようになりました。これは現在まで継続しており、興味の移りやすい僕にしては相当長続きしている方ですし、多分これからもこの道で生きていくだろうなあという感覚があります。(とはいえ、情報系の中に存在する無数の分野を歩き回っている感じはしますが) 情報系に関しては僕は少なくとも同年代の中ではできる方だと思っていますし、学校のような狭い世界に限って言えばそれなりに上の方なんじゃないかという自信もあります。しかしこれは本当に狭い世界の中での話であって、世の中には謎の原動力によって幼少期から一つの分野に触れ続け、他を寄せ付けない圧倒的な実力を誇る人たちが存在します。

前述の通り、多くの分野を少しずつかじるような生き方をしてきたため、人よりは浅く広範なことを知っているんじゃないかなあと思っています。そしてこれは、現在の様々な活動にも役立っている実感があります。しかし、自分が一番の武器としている情報系の分野において、世の中に存在する圧倒的な人間に太刀打ちすることはとてもできない状況にあります。これは、僕が今まで情報系以外の分野やその他の物事に掛けてきた時間を、圧倒的な人間たちはある一つの分野のみに向けてきたことに由来すると僕は考えています。”天才”と呼ばれる人たちが世界にはいるわけですが、そんな天才達も、生まれた直後から専門とする分野に対しての知識を有していたわけでは当然ありません。天才達が凡人と違うのは、その生まれ持った理解力と、特定分野にかけてきた圧倒的な時間であるはずです。

僕は、自分で勉強したいことを見つけてきて、それについて勉強することが好きです。好きな分野の知識を仕入れて蓄えることが好きです。そして、自分の得意とする分野で知らない事に出会うのが好きですし、それを知らないまま放置するのが大嫌いです。そして、圧倒的で追いつけなさそうな人と僕との違いは、結局の所「僕の知らないことをその人達は知っている」というところに尽きます。僕は別に競争をしたいわけではないので、その人達に勝ちたいという方向の感情はそんなに無いのですが、その”人”に勝ちたいのではなくて、その人達が知っている”事”を僕もできるだけ知りたいという強い気持ちがあります。なので、自分の持てるできるだけ多くの時間を興味分野の習得に投げ捨てたいという事をずっと考えていました。

1,2年生の頃は、まだなんとか自制して、決して真面目に取り組んでいたわけではありませんがそれなりの学校生活を送っていました。しかし3年生になって、もっと多くの時間を費やして勉強がしたいという気持ちが大きくなってくると、学校という存在が極めて苦しいものになり始めました。これは僕が、他人に課された不本意なタスクを処理する能力が極端に低いこととも関係するのですが、学校に登校する数時間、新規知識の少ない専門教科などに対する作業的な対応に用いる時間が、本当に苦しいものとして感じるようになりました。

他の要因として、僕が学校に求めているものと、学校が実際に提供しているものに大きな差異があったことも大きいと考えています。もっと本質的な実験内容や、もっと根本的なところからの技術説明を学校の授業ではしてくれても良いんじゃないかと思うことも多かったです。決して「学校でCなんかやってないでモダンな言語をやれ」とか、「実践開発をやれ」みたいなこと言ってるわけではなく、「学校ではもっと学校でしかできないことをやってほしい」と思ったのです。独学では設備や環境、情報の問題から難しいような内容を学校ではやらせてほしいと思ったのです。趣味でできることを、わざわざ長い時間を掛けて登校して、効率的とは言えないやり方で時間を浪費しながら学ぶ必要があるとは思えないのです。よく勘違いされるのですが、僕は別に高専でやらされる一般教科を批判しているわけではありません。無ければいいのにとは正直思いますが、それは僕が苦手なだけであって、高校課程だししょうがないなと言う気持ちになれます。

なんていう思い切り批判のような事を書きましたが、そもそもこんな事を思うのは、自分が今本当に学びたいことと学校に課される内容全般が衝突していて、普通に学校に行くのが精神的に辛く、そこで課されるタスクを処理するのは更に辛いという、学校から見れば自分勝手な要因からなのです。動機はどうあれ、欠席過多で課題の期限を守らないただの社会不適合者でしかありません。実際に僕の言うような内容を熟すカリキュラムを構成するのは難しいことでしょうし、普通はそれを学生側が受け入れなければならないのだということは理解しています。しかし、今の僕は本当にそれが辛く、でも学校のことはやらなければならないから一応やろうとするが進められず、そうこうしているとやりたいはずの自己学習も学校のタスクも何も進んでいないという状況が頻発し、それで時間を失い更に辛くなる負の連鎖に陥っていました。

なので、昨年の年末頃に、「1年でも良いから引きこもって好きなだけ勉強をしよう。来年は休学しよう。それで割り切ろう。」という勝手な決意をしました。当然周囲に簡単に受け入れられはしませんでしたし、今も受け入れられたと言うよりは強引に押し切ったような状況にあります。多くのことに強制されない1年間の中で、使えるだけの時間を1つのことに打ち込むことができれば、そこで得られる知識と技術はきっと大きなものだと考えています。そしてきっと、これができるのは今と、数十年後に定年退職したころにしかないだろうと考えています。これでどうにか精神状態を立て直し、休学を終えた後に割り切って社会復帰し、あわよくば休学中に得た知識を活用して生きていきたいと考えています。

正直、自分自身なんの確信も自信もありませんし、不安だらけです。学校自体は辛く感じることも多かったですが、学校で得られた人間関係を始めとする多くの手放し難いものも確かに存在します。学校が好きなわけではなくとも、自分以外がまだそこにいる場所に戻る道を自意識で断つというのはそれなりに寂しいものなようです。それでも、僕は休学することを決めました。

とりとめのない感情をぶつけただけの、ストレス発散にも等しい文章でしたが、もしここまで読んでくださった方がいたら嬉しいです。僕は結構寂しい気分になっているので、僕が居なくなっても、僕に構ってくれると助かります。留年も、退学もしていませんが、僕は来年度にはいません。来年度をできるだけ活用して、今後の糧にしていきたいです。皆様今後ともよろしくお願いします。

自分で学生サークルを立ち上げてみた

※この記事は苫小牧高専アドベントカレンダー2018 3日目の記事です。

先月公開されて、結構初期に登録したアドベントカレンダーですが、いつの間にか公開日直前になっていたので焦って書いています。なお公開日には中間試験があります。 何を書こうかと思ったものですが、お気持ち的文章はつい最近書いてしまったので、安直に今年1年間†情報系学生†として生活してきてやったことを書くことにします。

いくつかネタとして思いつくことがありますが、今年一年を通して僕の生活に大きな影響を与えた事柄として、ある学生サークルの結成があります。これは2年生の春休みに僕が直接声をかけて始めた活動です。内容としては総合的なゲーム開発を行うサークルで、活動開始時のメンバーは9人でした。せっかく高専にいるのだから、情報系だけでなく機械や環境といった他系の人間も集めて一緒にものを作ってみたいと思って立ち上げたサークルでした。勿論作業内容が直接自分の専門系と関係する必要はなく、絵を書いていたり空想(妄想?)が好きだったり、自分のやりたいことをやって結果としてゲームという形の成果が出せたら良いなと考えていました。また、部活や教室で"課題"という形態を取った作業が発生するよりも、創作を通して、はっきりとした目的のもと作業をしてもらうことができれば、より気軽に楽しくメンバーとなった人たちの各種技術の向上に繋げることができるのではないかとも考えていました。僕自身としても、普段住んでいる分野はゲーム制作という感じのレイヤーではないので、開発面でもある意味では挑戦でした。

そんな思想で立ち上げたサークルですが、これらはやはり理想的な物であり、実際の運用では様々な問題が発生しました。 一番大きかったのは、人間の管理です。”ゲームを作る”という楽しげな理念のもとに人を集めてはいますが、結局の所何を作るにしてもやることは作業であり、勉強です。本来このようなサークル活動や、更に言えば実務での開発というのは、すでに一定の技能が認められる人間が集まって作業を行うものですが、上記のような理念で結成を行ったため、集まったメンバーの中で開発に使うツールをちゃんと扱えたり、実際にシナリオを書いたことがあったり、ゲーム向けのイラストを書いたことのある人は一人もいませんでした。ごく情報系の分野に限っては僕が教えられることもありましたが、体系的に講座形式で教えるのはやはり困難ですし、なによりそれでは僕が作業したほうが早いです。 これで発生してくる問題というのは、メンバーの飽きであり、面倒だから作業したくないという精神的問題です。そもそもこのようなことにならないようにサークルという形を取ったのですが、やはり現実は厳しいです。更に加えて言うと、これはただ僕が声をかけて、”やりたい”と言った人が集まっているだけなわけなので、言ってしまえば何の報酬もありません。もし部活動であれば社会的なアレによって若干の強制力が生まれますが、それも無く報酬もなく、つまり僕にはメンバーに作業を強制する権限がまったくもってありません。結果として、当初9人だったメンバーは活動開始時点から2人の離脱があり、7人となっていました。これは離脱を表明してくれた人だけのカウントですので、残り7人で見ても現在実際に制作に参加しているメンバーはほんの数名となります。

この離脱や事実上作業をしない人員が生まれてしまった原因として、僕のマネジメント能力の欠如と知識不足が挙げられると考えています。よく、「得意不得意があるから人が集まってもの作ればいい」というようなことが言われます。実際にその通りであり、一応表面上はこの日本という国もこのシステムで回っているわけですが、本当にそれが機能しているのかというと疑問な気がします。なぜなら、本当に効率的にこのチーム運営が成り立つためには、マネジメントを行う人間が各方面すべての分野において一定の知識を有している必要があるからです。僕は情報系のことはちょっとだけ分かりますが、絵を書くことはできませんし、モデリングも教えられるほどはわかりません。これでは、「こんなことをやってほしい」というぼんやりとした概念で、依頼ではなく”お願い”をするしかありません。何度僕がもっと多才で万能だったらと考えたかわかりません。でも、もし万能だったらやっぱり僕が全部一人で作ればよくなってしまうのです。これでは作業を依頼された側も作業がしにくいに違いなく、ただでさえコストのかかる作業がより大変な物となってしまいます。(まあ、それでも大変ながら作業し続けてくれている人もいるので本当に難しいですが)

さらに、例え形式上サークルというものが維持されたところで、この形態で運営することができるのは本来的なクリエイティブ集団ではありません。チームを組んで”クリエイティブ”をやりたいと思ったとき、それは各分野に特化した人間が存在することが前提となっています。僕のように学校という狭い空間で半ば乱択的に集めたメンバーでは、前述のような理由も相まってどうしても限界が生まれてしまいます。(決して責めているわけではありません) 僕が理想とする、本来的にやりたいクリエイティブの形というのは、自分がある程度できること(僕の場合、プログラミング、シナリオ作成、ちょっとだけモデリング)と自分にはできないことがあり、その自分には出来ないことを、絶対的な水準で見たときに自分と同じくらいある事柄について突出しているメンバーに補完してもらう形です。文章が下手で良くわからない表現になってしまいましたが、要するに「自分がある分野ができるのと同じかそれ以上くらい、別のある分野で突出したメンバーでチームを組んで制作がやりたい」ということです。

これは、きっと物凄く楽しいことです。僕としては、こんな創作ができれば、他の全てはどうでもいい。必要最低限生きていくだけの環境と、このクリエイティブさえできればそれでいい。というくらいのレベルで、こういうことがやりたいのです。 とはいえ、この資本主義の現代ではこれは不可能に近いほど難しいことであり、僕の能力水準ではこの思想だけでそのレベルの人間を集めることはできません。それができないから今回のように周りの人間を集めて教育を含めて創作をやるという形を取ったのですが、やはり厳しいものがあります。集めた人間が皆、創作に対して自分と同じ程度の熱量を持っていればなんの問題もないのですが、そもそも自分がそういった選別を行うような集め方をしていないのだから当然そうはなりません。(逆に、僕の環境で選別を行ったら人が消えます) こうなってしまったとき、自分が理想とするチームでのクリエイティブというのは瓦解し、僕によるメンタリング活動へと変化してしまうのです。「自分にはできないから、君が比較的得意なこの分野のこれを学んで、できるようになって、ものを作りましょう」といったところで、その事柄にかける熱量と時間がどうしても自分のほうが上回ってしまい、先に自分のほうができるようになってしまうということを何度もやっています。これではなんの意味もないのです。僕は、人と創作がやりたいのです。 ……絶対に解決できないことに熱が入って文量を増やしてしまったので、もう少し解決可能な話をしましょう。

もう一つ存在する問題として、チーム内での情報共有の難しさです。弊サークルでは、プログラム、シナリオ、グラフィックといった大まかな作業分野で分割を行い作業を進めています。それぞれのチームで定期的に会議を行い、一緒に作業を行ったり、個人で行った作業の全体への統合を行ったりしています。しかし、我々は学生であり、これは仕事ではないので、開催されるすべての会議に参加する義務はなく、こちらも「できれば参加してほしい」というお願いしかできません。これにより、実務としてのチーム開発よりも、同一チーム内でのメンバー間の情報把握に差が生まれてしまいます。これが先程述べたチーム間では更に悪化して、そもそもどんなシナリオなんだかわからないグラフィックの人が現れるといったような事になってしまいます。こうなってくると”ゲームを作っている”という感覚ではなく、ただただ作業をさせられているだけになってきますので、更に作業のモチベーションが悪化します。

そんなこんなで、細々とでも作業を継続して行える段階に持っていくまでに非常に苦労しました。学校に関連したチーム作業とかであればまだメンバーも「一応やらないとな」という状態になりやすいのですが、全く”やる必要のない”作業であるという問題を解決するのは本当に難しい気がします。

問題点はまだまだありますが、問題ばかり挙げていても仕方がないので、ここまで述べた問題を踏まえた上で現在サークルがどのような運営形態になっているか軽く紹介したいと思います。

まず、情報共有の欠如を受けて設立したのが、サークル内ナレッジです。いい感じのオンプレで使えるOSSナレッジないかと探してみたところ、GROWIというWikiシステムが出てきたため、たまたまあった我が家のサーバーにDockerで突っ込んで運用をはじめました。 f:id:strv13570:20181202022452p:plain マークダウンで気軽に書けて、簡単な設定で更新内容がSlackに通知されるので、非常に便利です。ここにその時点での決定事項や会議の議事録を残すことで、実際に会議に参加しなかった人でも前回簡単に何をやったのかがわかるようになっています。(とはいえ、それを読んでくれないと意味がないですが) 開発ツールについてや素材の落ちている便利サイトなどの技術的な情報共有も行われているので、プログラムなどの班でも重宝しています。現時点で500件ちょっとのページがあり、趣味の制作にしてはなかなかの量ではないでしょうか。

また、生産されたデータや資料の共有を行うため、クラウドストレージも用意しました。こちらもOSSで落ちていたNextcloudを利用しています。最近HDDを買ってきてストレージを増強したので、全体で4TBくらいまでいけます。 f:id:strv13570:20181202023757p:plain Nextcloudは非常に高機能なようで、まだまだ使いこなせていませんがこれはプログラム班を中心にかなり活用されています。

そして、開発を行うためのGitリポジトリとしてGitBucketも運用しています。こちらはおなじみですね。 f:id:strv13570:20181202024251p:plain 開発に利用しているUE4の推奨バージョン管理システムSubversionであるという問題があり、最初は大丈夫なのかと思ったのですがGitでもちゃんと設定を行えばなんとかなっています。

他にもいくつかのツールを利用して、運営を効率化することで先程まで挙げていた問題が解決された……かというとそうでもないのですが、少なくともちゃんと利用されていますし、8ヶ月ほどに渡ってこれらを用いた活動が継続できているので、一定の効果はあったのかなあと思っています。何より情報が常に整理された状態で上がっているため、作業が非常にやりやすくなっています。「ナレッジがなかったらいまの作業成り立ってないよなー」とか思ってくれてるメンバーがいたら僕としては嬉しいのですが。

話がごちゃごちゃとしてきたのでまとめると、全く強制力のない趣味でのチーム開発はとっても難しいよという話です。特にゲームのようなあらゆる分野を要求してくるものでは難易度が上がります。上で述べた運用上の問題点はまだ全然解決していませんし、これからも完全に解決されることはないと思っています。それでも、この8ヶ月間でこの制作によって生み出されたものは既にかなりの情報量があります。また、参加前はほぼ学校以外でプログラムの勉強をすることがなかったメンバーが「早く学校終わって続きやりたい」とか言い出したり、それ専用のTwitterアカウントを作り出したりしているのを見るととても嬉しいです。僕自身も、一人で勉強したり開発したりしていた時と違って技術的な共通の話題で話せる場ができましたし、シナリオ会議に参加して自分たちで作っているゲームの世界を考えるのは非常に楽しいです。問題として挙げた内容も、学校でやらされる意味があるのか無いのかよくわからない体面上だけのグループワークなんかでは絶対に経験できないことだったので、今後似たようなことをすることがあればノウハウとして活用していきたいと考えています。

さて、ここまで長々と書きましたが、ちょっとだけ制作についてのさせてください。 まず、ゲーム名は非公開です。これは、ゲームの開発ががもう少し進んで、その紹介ページを公開するのと同じタイミングでWebページ含めても公開しようと考えているからです。 また、制作しているゲームのジャンルはRPGです。結構ちゃんとしたシナリオが存在する系のゲームなので、公開前の今ここで具体的な書くのはただのネタバレです。

……お前は紹介をするんじゃなかったのかという感じですが、割と大きなものを作っています。今現在、グラフィック(主にモデリング)を中心に人員が不足しています。経験者未経験者問いませんので、「なんかゲームとか作ってみたいけど……?」みたいな人、いませんか!? 今年は本当に色々なことがあったので、あと3日分くらい記事書きたい程度には書きたいことがたくさんあるのですが、今回はこんな感じの記事を書かせていただきました。 明日は苫小牧高専OBの先輩のふっくんさんの記事です。楽しみにしています。

とりとめのない話

感情が深まってきたのでとめのない話をします。理性レベルを下げて、感情で陳述しますので題通りとりとめはありません。苦しくなってきたので思うがままに文章化したいだけです。残念なことに結論もありません。

僕はプログラミングを始めとする情報技術全般が好きです。できるわけじゃありませんが、だいたいそこらへんのことはやっていて楽しいです。 だから部屋の本棚には技術書が並んでいるし、3枚のモニタやそこそこのPC、自分の学習目標を掲げた張り紙なんかもあります。サーバーと同居するのも楽ではありませんが楽しいです。

ただ、ふとした瞬間に「自分は何をやっているのだろうか」という疑問ですらない感情に囚われることがあります。今がそうです。自分はそこそこ情報系の道でうまくやれているとは思うのですが、自分がやりたかったことは本当にこうなのかという絶対に解決のしようがない考えに囚われることが割とよくあるのです。 僕は高専に入学した時、高専という普通の高校とは違った専門的学問を学ぶ世界に対して過剰な期待を抱えていました。詳しい話は本題からずれますし、過去にもしたことがある気がするので割愛しますが、自分が抱えていた期待をその環境が真っ向から否定してきたという出来事は、自分にとって割と大きなインパクトが有りました。 人間は周りの環境に影響されやすく、自分のレベルと全く違う環境に放り込まれたとしても大抵は環境のレベルに近いところまでは順応するという話がありますが、自分はそうなりたくないと思いました。酷い言い草ではありますが、当時自分は実際そう考えましたし、今も似たようなことは考えています。

そして、歪んだ話ではありますが、これによって自分の学習は加速されました。 反骨精神というと若干語弊があるのかもしれませんが、周囲を見て、自分はこうでありたくないし、もっと自分の専門を追い求めていきたいと考えたからです。その環境の中でできる方なだけじゃなくて、その環境から見て圧倒的であり、大局的に見ても「そこそこできる」くらいの立ち位置になりたいと思いました。とりあえず、自分のいる環境の人達から見て「ちょっと頑張れば追いつける」ではなくて「圧倒的」でありたいと思いました。

そんなこんなで丸々2年と少しが経過した現在ですが、なんとか自分の周囲には楽しい環境が整ってはいます。直近ですと、なんだか訳のわからない技術好きが集まった怖い団体に加入してデータセンターに宿泊(!?)したりだとか、地元で開催されたイベントで知り合った方に紹介してもらったPyConに参加しに東京まで行ってみたりだとか、色々やってる楽しげな会社で技術系アルバイトをしていたりだとか、その他にも無数のことが起こりました。

ここで純粋に喜んで、これからの学習をなんの蟠りもなく見据えて行ければよかったのですが、最初の方に書いたように、なぜか変な感覚に囚われることがあります。 多分これは、純粋に情報技術が好きだという気持ちだけでなく、環境に対する反抗で継続してきたということが背景にあるのではないかと推測しています。ですが、現在その精神が失われてモチベーションが低下しているかと言われるとそんなことはなく、むしろ沢山のことが起こって自分自身も学習を進めている感覚がありますし、さらにやり続けたい理由はどんどん増えていると思います。 しかし、無を感じるのです。開発をしていたり新しいことをやっていたり、技術書を読んでいたりする、そんなふとした瞬間に「何やってるんだろうな」っていう感情が湧いてくるのです。誇張ではなく、純粋に「たかが人間が科学なんか追い求めて何をしようとしているんだ」とかいうぶっ飛んだ考えが浮かんでくることすらあります。

駅のホームで線路をぼんやり眺めると、この線路で一体何人が死んだんだろうかとか、自分自身もなんとなくそこに降りてみたら簡単に消し飛ぶ存在なんだよなとか、列車のあの質量があの速度で動いてる運動エネルギーに勝てるわけないよなとか、そんなことを考えることがあると思うのですが、そんな感覚に近いです。 天文関連の書籍なんかを読んでるときに浮かんでくる、自分のちっぽけさと無力さ、この宇宙に対する恐怖心と好奇心の、恐怖心だけを取り出したような感覚に近いです。 教室に居てたくさんの人間が座っていて、先生が何やら話している。そんなときに、この教室にいる何十人もの別の人間が、形としては同じことをしているのに、全く違った感情で違ったことを考えている、それに対するなんとも言えない気持ち。これにも近いです。

たまに僕はTwitterとかで「将来は暖炉のある山中の小屋で本を読んで暮らしたい」とか「出家したい」とか言い出すことがありますが、そんなときはだいたいそんな感じになっています。そして、そんな考えが浮かんだあとに、「は?何言ってるんだお前は勉強するんだよ」という強迫観念にも近い何かが浮かんできて、勉強しなくてはという気持ちになります。まぁ、よくわかりません。

ひょっとすると、自分はド文系だったのかもしれません。どこかずっと小さい頃に選択を誤ったのかもしれません。結構昔からなるべく自意識で選択をするように心がけていますが、それに間違いがあったのかも。 本を読むのは楽しいです。世界観のしっかりとした推理小説やファンタジーが好きです。RPGも好きです。本の中にはお話があって、世界があります。本を開くとその世界で起こっていることが目に飛び込んできて、自分の中に喜怒哀楽を沸き起こしてくれます。紙の上に字が並んでいるだけですが、その字には意味があり繋がりがあります。想像しきれないほどの出来事が書いてあるのに、本を閉じたら本棚に収めることができるのは凄いと思います。本が閉じられて本棚に並んでいる時でも、本の中では何か起こっているような気がします。本を読んでいる時やRPGをプレイしているときは、無心でその世界が楽しいです。

なんの話でしょうか。

わかりません。

年納め・最近思うこと

どうも、すとんりばーです。

全く実感はありませんが、2017年も今日で終わってしまうようです。今日も変わらず自分の部屋でPCと遊んでいるわけですが、いつかちゃんと過去を振り替えれるよう、今年1年を通して思ったことややったことなどを書き残しておこうと思います。

まず、情報系に入れてよかったです。選考基準の成績が危機的だったわけではありませんが、結果が出るまでは漠然と不安でした。系配属発表のPDFの名前順が五十音順じゃなかったせいで一瞬選ばれなかったと思って肝を冷やした記憶があります。(いつもは上の方に名前があるので。)

次に部活動ですかね。元々は情報処理同好会にしか入っていなかったのですが、なんとなく見学に行ったソフトウェアテクノロジー部にいつの間にか入部していました。「様子を見に行ってみたいです」風のことを行って見学気分で行ったのですが、どうやらそこで書いた(?)メールアドレスか何かによって入部したことになっていたみたいです。ぶっちゃけよくわかってません。とにかく入部しました。で、まさかの高専プロコン出場メンバーになりました。メンバー決めでは最後までメンバー入りを渋った記憶があります。結果としては楽しかったのでいいんですけどね。来年も戦いに行こうと思っています。技術的な話としても、画像処理や特徴検出をやったのは始めてだったので、スキルアップに繋がったかなあと思っています。直前飛行機内プログラミングやネット死亡ホテル缶詰は、あれはあれで楽しかったです。眠かったですけど。

初めての学科展にも参加しました。とはいえ、高専祭の直前まで高専プロコンでゴタゴタしていたため開発にはあまり参加できませんでした。直前に若干のソースコードの改良をやったくらいです。動かしているソフトウェアが数年前の先輩が作ったものでそれを受け継いでいると聞いたときは色んな意味で吃驚しました。Unityが4なんですよ、2017年に。高専プロコンのおかげで開発期間がほとんど確保できず完成には至りませんでしたが、Unity2017で0から作り直したものがあるので、来年までに完動させられるようにしておきたいです。安請け合いしてるつもりは全く無いんですが、いつの間にか学校のために作らなければならないものが増殖しているんです。ふっしぎー。これを考えたら来年はバーチャルユーチューバーになろう展示をしたいとか言ってる場合ではないのでは?手が回ったらやってみたいですけどね。

あとOSCも初参加でした。先輩に誘われて?行ったのですが、1度しか参加していないのにあのとき知り合った方々にはその後も話す機会があったり、人脈って不思議だなあと感じています。懇親会でお話して頂いた方数人と皆別々の場所で別々の形で遭遇したりするので本当に驚きです。

OSC以後からなんとなく活動的志向が出てきた様に思います。大きなNinjaとして地元に生まれたCoderDojoに遊びに行ってみたり(後にメンターとなった)、勉強会に参加しに行ってみたり、そのあたりでお誘い頂いた仕事に参加してみたりと、間違いなく自分の経験値になっている事柄を沢山経験できました。これはそのあたりで生まれた思想ですが、人間過剰な努力をする必要はないなと感じます。急がば廻れとは言いますが、危険でもなく通れるものをわざわざ回り道する必要はないです。それはただの非効率です。出来ないことは生きていける程度に、出来ることはどんどん使っていけば良いのです。
こんなこと書くの恥ずかしいですが、我が家はあまり各種活動に協力的ではありません。否定的ではありませんが無干渉不援助です。ですから、大抵は札幌で開かれるイベント等に参加するのも金銭面で苦労し、それを親に相談すれば「コンビニででもバイトすればいい」と言われていました。家にいれば好きな技術を学ぶことが出来て、技術を少しでも持った状態でイベントに参加すれば色んな人とお話がしやすくなります。逆説的に、家での勉強時間を奪われたらどうしようもないわけです。単純に肉体労働者にはなりたくありませんしね。これのお陰ではじめは本当に苦労しました。しかし、荒削りでも身につけて何か作って、少ない機会でも色んな人と話すことに確実に意味はありました。少ない機会でもそこから人脈が広がって、形に出来てきたのだからきっと間違ってはいないんだと思います。何処でどう転ぶのかはわかりませんがね。
技術力で稼いだお金を技術に突っ込める、これほど幸せなことはありません。それに見合った動きが出来るように技術力を上げていかなければいけません。その作業すらも楽しいのだから言うならば正のスパイラルです。本当に素晴らしい。肉体労働なんてしなくてよかったなあと改めて思います。給料的にも比較したら好条件ですしね。(肉体労働が”できる”人はその仕事が素晴らしいんだと思います。逆に僕にはそっちが”できない”のだと思います。だから、肉体労働を悪いものだと言っているわけではありません。)

話の軌道修正です。他にも今年はセキュリティミニキャンプに参加しました。これに関しては、単純に知見が広がってよかったです。宿泊施設で先輩方と話したり買い出し(笑)に行ったのも楽しかったです。来年は全国大会に応募しようと思っていますが、テスト期間に被る可能性もあると聞いて、学業さん業が深いなあという感じです。全国大会に参加するならば、現時点の僕ごときの知識では辛いと思うので今から鍛錬が必要ですね。

さて、ここに書いてない事も勿論沢山ありましたが、このブログに書くような2017年に起こったことは書けたと思います。ここからは2018年に向けてです。
2018年は、圧倒的になりたいです。現時点では、同年代の特に何もしてない人でも爆発的に技術し始めたらすぐに負けてしまうんじゃないかなあという不安があります。
「群を抜いて」といいますか、それくらいになればもっと活動の幅が広げられると思うんです。目指していきたいですね。

今年はもう残り数時間ですが、「年越しプログラミングするぞ!」と意気込んでいるすとんりばーです。良いお年を。

新生すとんりばー

どうも、すとんりばーです。
つい数分前まではすとーんりばーでしたが、今の僕はすとんりばーです。そうです。改名しました。

傍から見たら突然名前変えた変なやつですが、名前を変えたいという考え自体はずっとありました。
理由は、ユーザーネームの異常な競合問題です。いや、当たり前なんですよ、だって「すとーんりばー」ってもうあれじゃないですか。石川ですよ石川。本名は非公開ですけど直訳したら石川ですよね。すとーんりばー。
僕が石川かどうかは非公開ですが、この日本という国において石川さんっておよそ42万人いるんです。比較的人口の多い日本において24位の名字なんです。そんな全国の石川さんの中でネットやってる人達、その人達が「すとーんりばー」なんてユーザーネームを思いつかないわけがないんです。

しかもこれ、ユーザーネームに限りませんよね。石川社長がすとーんりばー株式会社作るかもしれないし、製品名にするかもしれません。実際、すとーんりばーで検索するとこうなります。
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次の検索結果を表示しています: ストーンリバー
いや、次の検索結果を表示しないでほしいんですよ、僕は競走馬じゃないので。競走馬ストーンリバーの馬主さんは石川さんなんでしょうね。わかります。

僕はこれからもネットで生きていくわけです。なるべく被ってないネームを使って、人にネームを言って検索してもらったらブログやSNSが出てくればこの界隈では円滑な人間関係を築きやすくなるわけです。
そんな状況なのに「すとーんりばー」の競合相手は競走馬に株式会社ですよ?どんなコンテンツ力を持って人間の欲望につけこんだ根強すぎる文化である競走馬に勝てっていうんですか。Google先生には検索結果改変されますし。

というわけなので、比較的競合が少なく今までの呼び名や名義にも極力影響を与えない「すとんりばー」に僕は改名します。「すとーんりばー」に愛着は正直ありますが、仕方のないことです。

これからもすとんりばーをよろしくお願いします。

追記:
ちなみに、すとんりばーで検索するとこんな感じになります。
f:id:strv13570:20171224181616p:plain
赤で囲ったのが僕関係です。ね?まだ道が見える気がしませんか?