苫小牧工業高等専門学校を休学しました

タイトルからしてなんだか過激な文章っぽさがありますが、退職エントリ的な雰囲気のタイトルを付けてみたかっただけです。内容はそんなに過激じゃありませんし、学校に対する批判でも論評でもなく、極めて個人的なお気持ち表明なので、そんな感じで読んでいただければ幸いです。本当に自分勝手に書きますので、気分を害してしまったら申し訳ありません。

まあ内容としてはタイトル通り、僕が苫小牧工業高等専門学校を休学したという話です。「なんでお前3年生終わったら突然休学したの」という感じだと思いますが、先にざっくりとした理由を言ってしまうと、「全て投げ捨てて好き勝手に勉強する時間を1年でいいから人生のうちに作りたいと思った。」という極めて個人的なものです。

ここからは、少し踏み込んだ詳しい理由を書きます。物凄く個人的かつどうでもいい話が含まれるので、適度に読み飛ばしてください。誰かに話したいからこうして書き連ねているだけなのです。

僕は比較的小さい頃から科学技術に関連する分野が大好きで、無差別に多くの分野を少しづつかじってきました。長い間、特定の分野に寄らず色んな知識を仕入れて喜んでいたのですが、中学生の後半辺りから情報系の分野に触れ始め、こちらを主な学習対象とするようになりました。これは現在まで継続しており、興味の移りやすい僕にしては相当長続きしている方ですし、多分これからもこの道で生きていくだろうなあという感覚があります。(とはいえ、情報系の中に存在する無数の分野を歩き回っている感じはしますが) 情報系に関しては僕は少なくとも同年代の中ではできる方だと思っていますし、学校のような狭い世界に限って言えばそれなりに上の方なんじゃないかという自信もあります。しかしこれは本当に狭い世界の中での話であって、世の中には謎の原動力によって幼少期から一つの分野に触れ続け、他を寄せ付けない圧倒的な実力を誇る人たちが存在します。

前述の通り、多くの分野を少しずつかじるような生き方をしてきたため、人よりは浅く広範なことを知っているんじゃないかなあと思っています。そしてこれは、現在の様々な活動にも役立っている実感があります。しかし、自分が一番の武器としている情報系の分野において、世の中に存在する圧倒的な人間に太刀打ちすることはとてもできない状況にあります。これは、僕が今まで情報系以外の分野やその他の物事に掛けてきた時間を、圧倒的な人間たちはある一つの分野のみに向けてきたことに由来すると僕は考えています。”天才”と呼ばれる人たちが世界にはいるわけですが、そんな天才達も、生まれた直後から専門とする分野に対しての知識を有していたわけでは当然ありません。天才達が凡人と違うのは、その生まれ持った理解力と、特定分野にかけてきた圧倒的な時間であるはずです。

僕は、自分で勉強したいことを見つけてきて、それについて勉強することが好きです。好きな分野の知識を仕入れて蓄えることが好きです。そして、自分の得意とする分野で知らない事に出会うのが好きですし、それを知らないまま放置するのが大嫌いです。そして、圧倒的で追いつけなさそうな人と僕との違いは、結局の所「僕の知らないことをその人達は知っている」というところに尽きます。僕は別に競争をしたいわけではないので、その人達に勝ちたいという方向の感情はそんなに無いのですが、その”人”に勝ちたいのではなくて、その人達が知っている”事”を僕もできるだけ知りたいという強い気持ちがあります。なので、自分の持てるできるだけ多くの時間を興味分野の習得に投げ捨てたいという事をずっと考えていました。

1,2年生の頃は、まだなんとか自制して、決して真面目に取り組んでいたわけではありませんがそれなりの学校生活を送っていました。しかし3年生になって、もっと多くの時間を費やして勉強がしたいという気持ちが大きくなってくると、学校という存在が極めて苦しいものになり始めました。これは僕が、他人に課された不本意なタスクを処理する能力が極端に低いこととも関係するのですが、学校に登校する数時間、新規知識の少ない専門教科などに対する作業的な対応に用いる時間が、本当に苦しいものとして感じるようになりました。

他の要因として、僕が学校に求めているものと、学校が実際に提供しているものに大きな差異があったことも大きいと考えています。もっと本質的な実験内容や、もっと根本的なところからの技術説明を学校の授業ではしてくれても良いんじゃないかと思うことも多かったです。決して「学校でCなんかやってないでモダンな言語をやれ」とか、「実践開発をやれ」みたいなこと言ってるわけではなく、「学校ではもっと学校でしかできないことをやってほしい」と思ったのです。独学では設備や環境、情報の問題から難しいような内容を学校ではやらせてほしいと思ったのです。趣味でできることを、わざわざ長い時間を掛けて登校して、効率的とは言えないやり方で時間を浪費しながら学ぶ必要があるとは思えないのです。よく勘違いされるのですが、僕は別に高専でやらされる一般教科を批判しているわけではありません。無ければいいのにとは正直思いますが、それは僕が苦手なだけであって、高校課程だししょうがないなと言う気持ちになれます。

なんていう思い切り批判のような事を書きましたが、そもそもこんな事を思うのは、自分が今本当に学びたいことと学校に課される内容全般が衝突していて、普通に学校に行くのが精神的に辛く、そこで課されるタスクを処理するのは更に辛いという、学校から見れば自分勝手な要因からなのです。動機はどうあれ、欠席過多で課題の期限を守らないただの社会不適合者でしかありません。実際に僕の言うような内容を熟すカリキュラムを構成するのは難しいことでしょうし、普通はそれを学生側が受け入れなければならないのだということは理解しています。しかし、今の僕は本当にそれが辛く、でも学校のことはやらなければならないから一応やろうとするが進められず、そうこうしているとやりたいはずの自己学習も学校のタスクも何も進んでいないという状況が頻発し、それで時間を失い更に辛くなる負の連鎖に陥っていました。

なので、昨年の年末頃に、「1年でも良いから引きこもって好きなだけ勉強をしよう。来年は休学しよう。それで割り切ろう。」という勝手な決意をしました。当然周囲に簡単に受け入れられはしませんでしたし、今も受け入れられたと言うよりは強引に押し切ったような状況にあります。多くのことに強制されない1年間の中で、使えるだけの時間を1つのことに打ち込むことができれば、そこで得られる知識と技術はきっと大きなものだと考えています。そしてきっと、これができるのは今と、数十年後に定年退職したころにしかないだろうと考えています。これでどうにか精神状態を立て直し、休学を終えた後に割り切って社会復帰し、あわよくば休学中に得た知識を活用して生きていきたいと考えています。

正直、自分自身なんの確信も自信もありませんし、不安だらけです。学校自体は辛く感じることも多かったですが、学校で得られた人間関係を始めとする多くの手放し難いものも確かに存在します。学校が好きなわけではなくとも、自分以外がまだそこにいる場所に戻る道を自意識で断つというのはそれなりに寂しいものなようです。それでも、僕は休学することを決めました。

とりとめのない感情をぶつけただけの、ストレス発散にも等しい文章でしたが、もしここまで読んでくださった方がいたら嬉しいです。僕は結構寂しい気分になっているので、僕が居なくなっても、僕に構ってくれると助かります。留年も、退学もしていませんが、僕は来年度にはいません。来年度をできるだけ活用して、今後の糧にしていきたいです。皆様今後ともよろしくお願いします。