何を書こうか

※この記事は 苫小牧高専 Advent Calendar 2019 24日目の記事です。

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昨日はみみねこくんによる「放課後5時半以降の教室施錠について」でした。苫小牧高専も相変わらず楽しそうですね。そしてみみねこくんの文章はユーモアたっぷりで面白いですね。

さてさて、そんな面白い文章の一方で、僕は何の題材も着地点も考えずに文章を書き始めてしまいました。このあとも適当に出てきた文章を並べていって、思いつきで何かになったら良いなとか思いつつ書いていきますね。 例年であれば学校への文句の1つや2つを投げつけつつ、一年間でやったことの振り返りなんかをしていましたが、なにせ僕は今年苫小牧高専に通っていません。 しかも休学中のはずなのにやたら忙しいし、去年までのように自分のやっていることが全て自分の責任の範疇に収まるものではなくなってしまったので、書くに書けないことが多すぎるのです。

なにかお仕事を貰ってその内容を業務として遂行するとき、それを行っているのは確かに自分で、自分の持っている技術やら経験やらを使って開発をしているはずですが、本質的にそれは自分の作品では無いのです。自分が作ったかもしれませんが、自分のものではありません。そうして作ったものには多くの場合守秘義務が伴いますから、「これは自分が作った」と言うに言えないことも多いですし、まあそれがプログラマであり、エンジニアというものなのだと思います。給与を頂いて、そのリターンとして開発を行っているわけですからね。当たり前のことです。僕の現状としては何故かゴリゴリC/C++を書く組み込みっぽいプログラマをやらせて頂いているものと、それ以外のまだ微塵も口外できない水面下の話が進んでいたりしますが、まあどのみち詳細は言えないので無いも同じなわけです。

プログラマという職種は専門職です。この“専門職”という言葉はある一分野に一般以上の知識を持つ人間へ与えられる称号だと思います。専門職に就いて活躍できたらそれは凄い事だと思います。

でも、ちょっと別の捉え方をしてみることも出来ます。 例えば、あるゲーム作品にプログラマとして携わった場合を考えます。そのゲームのロジック部分の実装を設計し記述したのはおそらく自分でしょう。そして、その作品が世に出たとします。 この時、僕は「ゲームクリエイター」を名乗っていいのでしょうか。これは僕は、名乗れないし、名乗りたくないと思います。

“専門職“というのは同時にその人間が携わるべきとされる範囲を縛り得る言葉でもあると思うのです。

だって、そのゲーム(RPGなのか、ソシャゲなのか、パズルゲームなのかはわかりませんが)の企画をして、内容を詰めて、工夫をこらしたのはきっと自分ではないのです。自分はプログラマという職種の人間として、全体でその作品を作り上げるための一部分を任され、そこを実装した人間に過ぎないのです。これは、徹頭徹尾、どこまで行っても自分はプログラマであって、クリエイターではないと僕は考えます。

僕は趣味でゲーム制作をやっているのでちょっと偏りますが、またゲーム制作に関する言葉を取り上げた例を挙げさせていただきます。

小さい頃にゲームを遊んで、「自分もこんなふうなゲームを作ってみたい!」と思った少年がいたとします。僕はこの例には当てはまらないので予測であり、あくまでも例なのですが、きっと彼が将来なりたいものは「ゲームクリエイター」です。この夢を抱いたときの頭の中には、自分の世界を考えて、そこで動かせる仕組みを作って、色んな人に遊んでもらって、何より自分が自分で作ったゲームで遊びたい、そんな妄想がぼんやりと存在したことでしょう。

そして彼はゲームを作ろうとゲームに関わる技術・技能を勉強し、ゲームの開発企業に就職したとします。さて、おかしいですね、きっとこの職種は「ゲームプログラマ」です。いや、「ゲームデザイナ」かもしれないし「ゲームプロデューサー」かもしれませんね。「ゲームクリエイター」はどこに消えたのでしょうか。結論から言えば、「ゲームクリエイター」という概念はぼんやりとしたもので、様々な専門職の総称だったわけです。もしくはそれらが合わさってできた成果物を「外から」観測した時に見いだされた幻想の職業なのかもしれません。本質的には後者な気もします。

じゃあ、「ゲームクリエイター」になりたかった少年はどうすれば良いのでしょうか。もちろんそこに至るまでの学習で「ゲームプログラマ」などのより具体的な分野にあこがれを抱き、それになったことを喜べる場合も多いでしょう。しかし、そうならなかった場合は?最初から最後まで、彼がなりたかったのはクリエイターだった場合は?趣味でもなんでもなく、自分がそれをやりたいがために生きるものがクリエイトだった場合は?何になれば良いのでしょうか?

任されるロジックを実装するのは「ゲームに関われた」という感覚はあるかもしれませんが、それは自分の作品でしょうか。彼は、ゲームクリエイターになれたと満足できるでしょうか。

これはわかりやすい例であって、きっと様々な分野で似たようなことはあるのだと思います。そして、僕はこれを批判する立場の人間ではありません。ある程度大きくなった組織はこういった完全分業の形態が一番運営しやすく、効率的なのでしょう。仕方のないことです。

でも、これだけでは寂しくありませんか?確かに1つの分野にだけ特化して、それだけを生業にしていくのも素晴らしいですし、とても格好いいです。ですが、本来私達はそれに縛られる必要だって無いはずなのです。固定化された職業という概念に捕らわれずに、自分の持てる知識や技術を、分野を問わずつぎ込んだものを作ったって良いはずなのです。それに人生を賭けられる道が現実的な進路としてあったって良いはずなのです。

きっと、僕たちは近い将来に職業に縛られます。しかしだからといって、必要ないと"専門"の知識以外を跳ね除けてしまうのはあまりに勿体ないです。きっと、学生の今が一番、何にも捕らわれずに、気の赴くままに沢山の知識や世界に触れることが許される期間なのです。沢山のものを自分の中に持って、それらを引用した、自分による素晴らしい世界を創造したいじゃないですか。

何も考えず文章を書き始めましたが、結論じみたものが出てくれました。良かったです。

でも、僕はこの結論は嫌いです。話の流れとしては大変収まりのいい、模範的な結論かもしれませんが、気に入らないものは気に入らないです。 理解のない人間にこれを喋ったら厨二病と言われるかもしれない。でも、空想を現実的ではないと切り捨て、そういうものだからと当たり前の言う通りに生活することが正しくて、模範的だと言われるべきものなのでしょうか?僕は今も、そしてこれからも、職業や専門なぞに縛られることなく、自分の作りたいものを"プログラマ"としてではなく"クリエイター"として作り続けられるような人間でありたいです。 果たして現代社会でそんなことをするためにはどうしたら良いのか、まだはっきりしたことはわかりませんが、行けるところまでは行ってみたいものです。

僕は、プログラマにはなりたくありません。皆さんは何になりたいですか。

以上、思いついたままにすとんりばーでした。

明日は苫小牧高専アドベントカレンダー2019の最終日! 担当は主催者である@Kotomi1338さんです。楽しみですね。